幼い頃からずっと好きだったアルフィー、もしも自分がブログを始めたならアルフィーについての記事を絶対に書こうと思っていました。今回はメンバーの中でも特に好きだった坂崎幸之助さんの魅力について紹介します。
略歴
- 東京都墨田区出身。東京都立墨田川高等学校卒業
- 1972年4月 – 高校3年の時にフォークコンテストに1人で参加
- 1973年 明治学院大学二部英文学科へ入学 (その後中退)
- 1974年 アルフィー (ALFIE) シングル「夏しぐれ」でデビュー(ビクターより)
- 1979年 シングル「ダブレター」でキャニオンレコードから再デビュー(表記もALFEEと変更)
- 2002年ザ・フォーク・クルセダーズの期間限定新結成のメンバーに抜擢され、はしだのりひこに代わるセンターとして参加。
- 2007年 『K’s TRANSMISSION』の番組上で、加藤和彦との新ユニット和幸(かずこう)の結成を発表。
- 2014年3月、母校の明治学院大学で「名誉学士」の称号を授与された(明治学院大学独自の制度であり、法的な大学卒業とは異なる)
THE ALFEE 結成秘話
高校生時代では桜井賢のバンド「コンフィデンス」のサポートをしていた坂崎幸之助、本人はそれまでサイモン&ガーファンクルのカバーなどをソロでしていたそうです。当時、とある音楽コンクールで坂崎はソロで出場し準優勝を果たします。このコンクールで優勝を果たしたのが桜井賢の「コンフィデンス」でした。その後坂崎はコンクールで知り合った他の高校生2人と「へそ下三寸」というグループを結成しましたが直ぐに脱退し「コンフィデンス」に飛び入り参加、そのまま一員になったとのこと。
その後、桜井が進学するという理由で明治学院大学を志望するも坂崎は試験日を間違えてしまい受験できず仕方なく二部を受験し入学。大学では高見沢俊彦と出会い「コンフィデンス」に引き込んだ。こうして高見沢が加入したコンフィデンスはオリジナルメンバーだった三宅康夫を含め4人体制になりアルフィー (ALFIE) と改名して1974年8月25日 – シングル「夏しぐれ」でデビュー(ビクターより)
当時、桜井はサングラスをしておらずフォークアイドルグループといった様相でした。
ボーカリストとして
アルフィーは曲ごとにメインボーカルが入れ替わる稀なタイプのバンドです。それぞれが個性的な声色と歌唱力を持っています。特に3人でのハモリはアルフィーならではの独特な響きで凄く魅力的です。
坂崎幸之助の歌声はとても心に響きます。比較的スローな曲やバラードではなんとも言えない彼らしい優しい色があります。(これを感じ取れる代表的な曲は Musician、明日なき暴走の果手に、etc、、)
またアップテンポな曲では坂崎独特のほんのりハスキーな歌声も織り交ぜ、時にはシャウトしたりと器用に声色を変えて歌いあげます。(これを感じ取れる代表的な曲は American Dream、Nine teen、シンデレラは眠れない、etc、、)
ギタリストとして
言わずと知れたギターの名手ですが、特に60〜70年代の洋楽や日本のフォークソングには造形が深く当時のアコースティックギターを用いた奏法では右に出る者はないと言われたほどです。
過去には高見沢にアコースティックギターの奏法(スリーフィンガー)を、、桜井にはベースギターの奏法を教授したそうです。
ギターの他、マンドリン、ブルースハープ、ドラム、パーカッションやベース、ピアノを弾くこともあるマルチプレイヤーの坂崎ですがアルフィーがロック編成で再デビューした後もアコースティックギターを手放すことはなくアルフィー独自のサウンドを作る要素として練り上げています。高見沢のエレキギターにより爆音で演奏されるロック調曲の中でも埋もれずに響く坂崎のアコースティックギターサウンド、、周りが爆音でもギターの板が外部からの音と共鳴しハウリングを起こさないようにヤマハの技術者らも当時から工夫を重ねています。この時のギターデザイナーが後に自身のブランドである”Terry’s Terry”を興して独立し、坂崎のメインギターをも作ったテリー中本さんです。坂崎のこだわりは現在でも人気のヤマハ・エレアコAPXシリーズの開発にも一役かっていたとのこと。
MC担当として
デビュー当初はバンドリーダーを務め、楽曲でも作曲や作詞をしていた坂崎、、元々メンバーの中でも話術が長けていた坂崎は80年頃になるとまだ無名だったアルフィーの知名度を上げるべく林家三平(初代)に師事し、更に話術を磨きながら積極的にラジオ番組に出演しました。(このため、現在でも海老名家と交友が深い)その後ロックバンド系編成と変化を遂げたアルフィーがヒット曲を出した頃にはリーダーを高見沢としています。
坂崎の磨かれた話術は決して自身が出ずっぱりにはならず、メンバーの桜井、高見沢や他の共演者らも巧みにイジッタリ、絡ませたりしての軽妙かつ面白いトークを繰り広げます。その話術はかつて『スーパーFMマガジン・坂崎幸之助のNoru-Soru』が放送されていた頃「FMステーション」誌のラジオパーソナリティ人気投票で必ずと言っていいほど上位にランクされ”God Of DJ”の異名を取るほどでした。
このようにアルフィーヒットの裏には坂崎の卓越した話術も礎となっていると言えます。
幅広い趣味と交友関係
幅広い交友関係は群を抜いていて、音楽関係者のみならず、多くの趣味に関係して多岐に及んでいます。
坂崎幸之助の趣味
- 両生類と爬虫類の飼育
- 熱帯魚の飼育(震災時のリスク考慮して現在は止めている。)
- 猫の飼育
- クラシックカメラや江戸切子(和ガラス)の収集
両生類と爬虫類の飼育
「アルフィーのオールナイトニッポン」で語ったところによると、坂崎が飼う爬虫類は他メンバーとの取り決めで全て「足を使い移動するもの」に限られ、「蛇を飼ったら解散」となっていた。しかし、「そう言った本人がヘビ革の靴だのベルトだの持ってるんですが」と皮肉ってもいる。また日本で発売されている一部の百科事典および図鑑には、番組の企画で彼自身が撮ったムカシトカゲの写真が掲載されています。
猫
猫においては20数匹以上を一度に飼育していたこともあるとのこと。不幸な野良猫をなくすための運動(地域猫活動、病気の治療や野良猫を増やさないための避妊手術など)に協力しており、里親が見つかるまで自宅で預かることも多いようです。自身のラジオ番組内で里親を募集することもありリスナーから多くの里親希望のはがきが寄せられているなど・・この辺は著書「ネコロジー」(音楽専科社)に詳しくあります。
カメラ・和ガラス
カメラでは田中長徳や赤瀬川原平、内山りゅう、中村征夫といったカメラ繋がりの有名人や矢追純一等、多岐に及び過去には田中長徳が主催する東京カメラクラブのメンバーに招かれている程です。
江戸切子(和ガラス)ではコレクターとしても永いキャリアを持ち。2001年より「坂崎幸之助 和ガラスコレクション展」と銘打ち、全国を巡回しています。2008年6月には江戸切子親善大使に任命され和ガラスのコレクションは著書にもまとめられています。近年、東京都内のアイランドギャラリーにて定期的に自ら撮影の写真とそれにまつわる書画を掛け合わせた写画展を開催しています。
交友関係
坂崎の音楽界や芸能界での交友関係は多すぎて挙げるときりが無いのですが、特に印象的な人を挙げるならば所ジョージとの交友関係です。
所ジョージとはアルフィーが売れない頃から親交が厚く、所のアルバムでのアレンジ・ギター演奏の他、所とタモリのジョイントコンサートにギターで参加したり、映画『下落合焼とりムービー』での共演等もした。同じアパートで寝食を共にしていた時期もあるとのこと・・1970年代後半、『所ジョージのオールナイトニッポン』に2時半の男として登場。当時は「坂崎こうのとり」と呼ばれていて番組当日に所と家で曲作りをして一緒にニッポン放送へ向かい、出来た曲を番組内で披露するということをしていました。所の初期の未発表曲で本人が忘れている曲でも坂崎だけが憶えている曲があるという。後に番組パーソナリティの座を所から譲り受け、その後も坂崎自身の番組「お台場フォーク村」や「BSフォークソング大全集」などでも所と共演していますがいつも笑い溢れる楽し気な様子が印象的です。
フォークの伝道師として
日本のフォークソング(1960年代から1970年代)に関する知識は随一であり、フォークソングの特集番組の司会を務めるなど、当時から活動しているフォークミュージシャンと共演し、若い層にフォークソングを広めることに一役買っています。たびたび歌っていた本人よりもその人曲を知っていることがあるのも凄い話です。
伝道を続ける理由については、「先輩方のいい曲ばっかり聴いてきたから、これ以上のものはできないなっていう気持ちが強くて、例えば拓郎さんの『イメージの詩』みたいなのと思っても、あれを超える曲なんかぜったい出来ないなって思っちゃう。だから、オリジナルを作るより、先輩方の曲を再現して、みんなに聴かせたい。こんなにいい曲があるんだよって・・」と述べている。
吉田拓郎と坂崎
また、吉田拓郎と坂崎についてはキンキキッズのテレビ番組「LOVE LOVE あしてる」のレギュラー出演オファーを拓郎が受ける際に「坂崎と一緒でなら引き受けましょう。」と言わしめたほど坂崎は拓郎から絶大な信頼を得ています。以前、坂崎が司会を務めるBSフォークソング大全集で拓郎が出演したことがありました。当時は一線を退いていたうえテレビ番組等での露出が元々嫌いで苦手と知られる拓郎だったのですが坂崎からの度重なる依頼をようやく受けた形で出演されたそうです。番組では久方ぶりとなる露出のためか、ぎこちない様子の拓郎を坂崎が敬意と優しさで包み込むような番組進行をしました。最後には「フォークの神、吉田拓郎ここに健在!」といった様子で拓郎ファンにとっては泣ける番組となったのはずです。この辺を契機に拓郎はキンキキッズとの共演や「全部抱きせめて」などのヒット曲も得て見事な再ブレイクを果たしています。
伝導の実績 (抜粋)
坂崎はテレビやラジオの他、ファンクラブ向け映像等でのトークコーナーでも坂崎だけギターを抱えて出演することが多く、話題に登った曲をその場ですぐ弾くため、共演者等には「ギター界の横森良造」他、山本潤子には「人間ジュークボックス」等と例えられている。南こうせつや吉田拓郎等のフォーク歌手はもちろん、アグネス・チャンや左卜全、田中角栄等もすぐに物真似し、吉田には「誰が今物真似しろって言った!」とツッコまれている。1981年には「BEAT BOYS」名義で吉田のヒット曲をものまねメドレーをリリース。
1980年代に、先輩に当たる元ガロの堀内護と日高富明が都内のライブハウスで活動を共にした際に、日高が欠席した時、坂崎が代役を務めた。
2002年には、ザ・フォーク・クルセダーズ新結成時のメンバーにもなり、オリジナルメンバーの加藤和彦らから「僕らよりもフォークルをよく知っている」と驚かれた。ちなみに、初めてラジオにリクエストハガキを読んでもらったのがフォークルの「花のかおりに」であり、2002年のフォークルの新結成時の1回きりのコンサートのソロコーナーで、カップリングの「何のために」とともに披露している。
同年に『朝まで生つるべ』にゲスト出演したのがきっかけで、不定期で『朝まで歌つるべ』が放送されることになり、この2つの番組でレギュラー出演している。2003年夏からは「坂崎幸之助のお台場フォーク村」が始まり、ベテラン・若手を含めて多数のミュージシャンとのステージを行っている。
小室等からは「フォーク界の介護士」と呼ばれる。なぎら健壱との「東京フォークジャンボリーズ」や谷村新司との「アリーズ」、南こうせつとの「クローンズ」、南こうせつと木根尚登と組んだ「南こうせつとがくや姫」、TOSHI (X-JAPAN)、前田”カキテル”亘輝と組んだ「No-TAX」、NHKのフォーク大集合では坂崎二郎名義で「座・ジローズ」に飛び入り参加・・などなどセッションによってできた非公式なグループは数知れずあります。
まとめ
アルフィーは年間のライブ活動だけでも相当過密です。時には年間120回以上のライブを行い、TV出演や、ラジオ番組をこなす合間に猫の飼育、爬虫類や熱帯魚の飼育をし、骨董、和ガラスやカメラの収集などもして、それに関わる活動や書籍、写真集の出版もしています。
昔からアルフィーを・・特に坂崎幸之助が大好きな私は彼の活動を注視してきたのですが、「この人は寝る暇がないのではないか?」と、いつも思ってしまいます。、きっと時間の使い方や人との関わり方が上手なのは勿論、好きなこと、やりたいことを思い切り頑張れる胆力や精神力を備えている人だと・・思いました。えてして著名人にはそんな人が多いのでしょうけれど坂崎幸之助のそれは群を抜いていると感じます。
晩年を迎えたアルフィー・・私は今でも彼らの音楽や3人の仲睦まじい姿に癒されています。
いつまでも変わらず輝き続けてもらいたいです。